なぜ突然、言論人に憧れ始めたのかを考えてみた

ユーチューバー・ブロガー
スポンサーリンク

メモ魔自己分析-10-1

YouTubeでそれなりの知名度を得て、クルマ関係のタイアップのお仕事などもいただけて、生活に不自由ない程度には稼げるようになった今日この頃。
※YouTubeだけで食えてるわけじゃないよ

世間的に見れば、「好きなことで、生きていく」を体現している人でしょう。

でも、実は昨年夏ぐらいから「どうも満たされない」と感じることが続いてました。

そして最近思ったんです。「言論人になりたいのかも」と。

まずは現状分析から

モヤモヤしてるだけだと何も進まないので、現状分析をしてみました。

現状① カネと時間はある

一時期は自転車操業で、複数の収入源からバラバラに振り込まれてくる金額と期日と、クレカの引き落とし日と睨めっこしながらしてる時期もありました。

でもこの半年ぐらいは、そんなことしなくても大丈夫だし、時には美味しいご飯で贅沢する余裕もある。

自転車操業に慣れたせいか、これといった物欲もないので、お金にはあまり困ってません(大卒社会人の年収ぐらいしか稼いでないけど)。

そして、毎日どこかに出勤して一定時間働くような仕事もしてないので、時間の自由もあります。

やらなきゃいけない作業はあるので、何日もダラダラしてられるわけじゃありませんけど。

現状② 動画編集や記事制作がダルい

ここがキモ。

そう、僕の仕事の根幹部分がダルいのですwww

「遊びを仕事にしてる」と思われがちなユーチューバーですが、僕はあらゆる作業が楽しいとは思ってません。そして、ダルい部分が多いと感じるようになったからこそ、こんな記事を書いてるわけです。

楽しい作業

当たり前ですが、峠の映像を収録するためにドライブをしてる時なんかは楽しいです。

あとは、ふとした時に「あ、これ動画ネタにしよう!」と閃いたときとかも。

また、動画や記事の内容を詰めるとき、論理的に構成を考えてるときや、その内容に合う映像や写真を撮影データから見つけ出すのも結構好き。

そして、SNSにしょーもない内容を投稿するのも楽しいですね。からあげクンとかw

消耗する作業

ダルいということは、何かしら消耗しているということ。

その理由は2つあります。

「継続のための継続」を強いられている

僕が有名になる原動力だった「3分ワインディング」が良い例で、他にはないオリジナリティがあるコンテンツだったからこそヒットしたんだと思いますが、あれを1本作るのはなかなか大変。

だいたい、「ただの山道」なんて数パターンに分類できちゃうわけで、100ヶ所に関して1200文字の原稿を毎回作るのはかなりキツい(笑)

最初のうちはどんどんチャンネルも成長して、再生数も伸びていくのでそれを糧にして頑張れますが、100本も作るとバズることもほとんどなく、ただ「シリーズを続ける」ことだけを目的にして作ってる感じ。

なぜそれでも続けるかというと、チャンネルの安定成長(=安定収入)のためにはコンスタントに動画を投稿する必要がありますし、これが好きで初期から支えてくれているファンを裏切りたくないと思っているからです。

つまり、目的があってやっているというより、「続けなきゃいけないから、続けるんだ!」ということ。

職場の上司に「なんでこの仕事するんですか?」と聞いて、「やらなきゃいけないからだよ」と答えられたら、やる気なくなりますよね?w それと一緒です。

論理的に考える要素が少ない

後で登場するのでここで多くは書きませんが、僕はどうやら「論理的に考える」のが大好きです。

一方で、クルマ関係の動画や記事を作る中では、収録内容を通して見ながら主要な部分を把握するためにメモを取ったり(書き起こしに近い作業)、テロップを付けたりという単純作業もかなり多い。

そして、文章を書くときも車の乗り味や峠を走った感想を表現することが中心になるので、論理的思考というよりは、感覚を文章化する作業といえます。

強いて言えば、その感覚を感じた理由を考えるのは論理的思考ですが、行き着くところは「車がこういうセッティングだから」とか「カーブがこんな形だから」というぐらいで、自分の知識を活かせる局面は少ないです。

また、高度な編集作業は単純作業ではないものの、頭より手を動かす地道な作業です。

つまり、頭を使って考えることよりも、できあがった構成に合わせて手を動かすだけの作業が多く、それがかったるいということみたいです。

「現状維持のための消耗戦」

こんな具合でやっているので、とてもじゃないですが毎日動画投稿とかできません(笑)

週1でラクなコンテンツ(編集が少ないもの)、週1で頑張るコンテンツ(タイアップ案件や3分峠など)という風に、週2で動画を投稿することに。

ブログはほぼ放置中で、年に3~4本記事を書くかどうかです(笑)

これらは、言ってみれば「現状維持のための消耗戦」。

ガマンできる程度の作業量で、不自由ない生活を手に入れているわけですから、これを手放したくはありません。

なので、この現状を維持するために、消耗しつつも今のやり方を続けているわけです。

得られる自由度と消耗の度合いは全然違いますが、構造としては給料のために消耗する「社畜」と変わらないんですよね。

さらに、ブログやYouTubeといった自己発信以外の仕事もやってますから、冒頭に書いたとおり、ヒマを持てあましているわけでもありません。

それなりに疲れるし、時間が有り余っているわけでもないので、なかなか新しいことを始める余力も無いということです。

現状③ 「好きなことで、生きている」のに満たされない

クルマに乗って、クルマにまつわる記事や動画を作って、それで不自由しない生活を送れることは、どう考えてもありがたいことです。

まさに「好きなことで、生きていく」。

…が、しかし。慣れとは恐ろしいもので、それでは満たされないのです。

気分転換にドライブしても解決しませんし、そもそも仕事としてもドライブしてますから、モヤモヤしたときに「ドライブ行きたい!」なんて思うこともありません。

なので、最近は敢えて運転しない小旅行をしているぐらい。

そんな中、「もっとワクワクして熱中できることはないかな…?」なんてボンヤリと考えていたわけです。

理想はひとつ:楽しいことだけして、不自由なく生きる

昭和の価値観でいけば、間違いなく「甘ったれるな!!」と怒られるやつです(笑)

とはいえ、実現可能性だとか、全人類がそれを目指すと社会が崩壊するみたいな議論は一旦おいといて、「これが実現できたらベスト」であることには異論はないでしょう。

そして、これには2つの要素があります。

自分が好きで楽しいことをする

こっちはこれ以上の説明は不要でしょう。読んで字のごとく。

不自由なく生きるには、誰かの役に立つ必要

楽しいことだけしても、そのまま不自由なく生きることは難しいでしょう。

お金を稼ぐにも、物々交換するにも、誰かのヒモになるにしても、なんらかの形で誰かしらの役に立たない限り、不自由ないレベルの生活は得られません。

つまり、自分が楽しいことで、誰かの役に立つ必要があるわけです。

ギャップ:「自分がラク&他人がラク」の両立ができていない

理想と現実のギャップが、解決するべき問題点。

僕がこれまでやってきたことは、多くのクルマ好きの役に立つことだったからこそ、それなりの収入につながり、こうして不自由なく生きているわけです。

言い換えれば、「他人をラクにする」活動だったということ。

一方で、現状分析で書いたとおり、今や僕の活動はダルいものになりつつある。

それでは「自分がラク」とはいえません。

つまり、僕が「自分がラク」な活動に切り替えた上で、それでも「他人がラク」になる価値を提供できるのが理想形、ということになります。

こういう時は自己分析!

「自分にとって楽しいことは何か?」

今さらこんなことに悩むとは思いませんでしたが、久々にしっかり自己分析しました。

余談になりますが、僕は自己分析が得意な方だと思ってます。

就活の時にすぐコツを掴み、ブロガーになったときやブログコンサルを受けたときにもやり、キャリアコンサルタントの勉強をしたときにも学問として学びました。

が、そんな僕でも、いわゆる自分の「コア」が見つからなかった。

これまで「趣味を仕事に」とか「峠ドライブをすること」だと確信していましたから、まさかそれがダルくなって崩れるとは思ってもいませんでした。

そんなわけで、SHOWROOM社長・前田裕二さんのベストセラー「メモの魔力」で紹介されていた自己分析を進めてみたら、分かっちゃった気がするんです。

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)
前田 裕二
¥ 1,540
Amazon.co.jp

論理的に考えることが大好き

「時間を忘れて没頭してしまうことは何か」と問われれば、少し前までは「峠ドライブをすること」と答えたでしょう。

たしかに、やってるときは楽しくて、疲れる運転のはずなのにかなり長時間できます。

…が、今はメチャクチャやりたいとは思わない(できるし、やれば楽しいけど)。

そして、もうひとつ思い付いたのが「アンチコメントへの返信」でした。

ユーチューバーやってると、ろくな根拠もない批判や悪口を書いてくる「アンチ」に絡まれることがありますが、たとえアンチコメでも論理的に返して、ぶっ潰したいと考えています(笑)

詳細はこちら↓

走り屋ユーチューバーの僕が、アンチコメントへの返信にムキになる4つの理由|たかっか@55ドライブ|note
・トークがヘタすぎ ・その考えは間違っている ・お前にクルマを語る資格はない ユーチューバーやってると、まぁいろんな批判的なコメントにさらされます。 「文句があるなら直接言いに来い!」と、ニコニコしながらいつも読ませていただいてます(こわい人は来ないでください)。 YouTubeでは、コメントに対して動画投稿者...

で、他にやるべき作業があったりしても、ついつい返信がないかチェックしたり、「今度来たらどう返してやろうか…」とか頭の中でグルグル考えちゃってるんですよね。

相手の思うつぼなのかも…と思いつつも、ガマンできないこの感じ。

アンチコメ返信と考えるとバカらしいですが、どんな内容であれ相手の主張を読み解いて、それに対して論理的な返信を考えることには、間違いなく没頭している。

しかも、それをやっても収入や認知度がアップするわけでもない。

さらにいえば、他にやるべきことがあるのに、それより優先してやってしまうことなんて最近はほとんどありません。

そう考えると、この「論理的に考えること」が僕の「楽しいこと」なんだということに気付きました。

僕が憧れる4人の有名人の共通点

話を聞いたり、著書を読んだことで好きになった人が4人います。

  • 落合陽一
    メディアアーティスト、科学者、「現代の魔法使い」
  • 前田裕二
    SHOWROOM社長、あり得ないぐらいの優しさ、イケメン
  • 宇野常寛
    評論家、サブカルに強い、アンチ対応が激しい
  • 岡田斗司夫
    ガイナックス創業者、「オタキング」、SF詳しい

パッと思い付いた特徴を挙げてみましたが、彼らの共通点も「論理的」であること。

それぞれ得意分野・専門分野はまったく違いますが、専門外の話題についても分かりやすく、面白く、論理的に説明できる人達。

その姿がすごくカッコよく、憧れます。

自らの専門分野に関する発信や出版もしつつ、その分かりやすさ・面白さを買われてメディア出演もすることで、専門分野には興味のない大衆にまで認知される。

これこそが、「論理的に考えるのが楽しい」僕が目指すべき姿なのではないか!?

…と、思ったわけです。

クルマや軍事以外の知識を得ることも好きだった

考えてみれば、僕は昔から「トリビアの泉」が大好きでしたし、ヒマなときに地上波で見たくなるようなTV番組はクイズ番組が多かった。

今でいえば「ブラタモリ」とか「マツコの知らない世界」なんかも面白い(今は家にTVないから、実際ほとんど見てないけど)。

クルマと軍事というのが僕の2大趣味でしたが、それ以外の知識を得ることにも実は幸せを感じていたんです。

さらに、最近では上で書いた落合陽一氏が出演するWeekly OCHIAIなど見ていると、哲学・社会学・宗教なども絡めた議論をしていて、こういった分野にまで興味を持つように。

これまで見向きもしなかったような分野に興味を持つぐらいですから、「彼らみたいになりたい」という想いがだいぶ強いことに気付きました。

考えることで生きるのが目的。制作&発信は手段。これを他人任せにしても生きられるのが言論人。

「峠ドライブが大好き」であることを活かして、峠の解説動画などを作ってきたわけですが、動画編集や発信自体は別に好きじゃないことに気付いたのは、冒頭に書いたとおり。

クルマや運転自体が好きだというのと同様、論理的に考えることもそれ自体が好きなわけで、発信することにはあまり興味がありません。

とはいえ、発信しなくては認知されず、認知されなければ他人の役に立てませんから、楽しいこと(論理的に考えること)で不自由なく生きる(他人の役に立つ)には、発信は避けては通れない。

ということは、発信と制作(発信するものを作ること)を外注化できれば、楽しいことだけで生きていけるのかもしれない。

言論人の強みは、この発信と制作の部分を「お金を払うのでやらせてください」と言ってくる人達…つまり編集者やTV局といった存在があること。

普通、外注するときはこちらからお金を払ってお願いするわけですが、言論人の場合は外注したのにお金をもらうことすらできてしまう。

もちろん、そのためには編集者やTV局にとって魅力的な存在であることを認知させる必要があるので、そのステップに行くまでには自力での発信は必要です。

ただ、思ったことを本人がイメージ通りに形にしないと成立しないアーティストやクリエイターと違って、思ったことを言葉に変換すれば他者による発信でも成立する言論人は、「考えることが好き」な僕にとっては理想の姿なんじゃないかと思ったわけです。

タイトルとURLをコピーしました